202年11月22日
こんにちは。東京都江戸川区のユニケア訪問看護リハビリステーションです。
皆さんは「人生会議」というものをご存じですか?
人は誰でも、いつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性があります。
そんな「もしもの時」がいつ訪れてもいいように、人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合う取り組み「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」というものがあるのはご存じの方も多いと思います。
厚生労働省が、このACPを一般の方へもっと普及していきたいということで、「人生会議」という馴染みやすい愛称にし、更に11月30日を「人生会議の日」として人生の最終段階における医療・ケアについて考える日にしようと取り組みを進めています。
今回はこの「人生会議」について、ユニケア代表の青木が江戸川区の熟年相談室の皆様のお力をお借りし、一般の方々へ講義を行わせていただきましたのでその様子をお届けさせていただきます。
ユニケア代表・青木が考える人生会議の必要性
青木は23歳の時に父親を心筋梗塞で亡くしました。
その時、看護師ではなくサラリーマンとして一般企業で働いていた青木は、第一発見者として何もできなかったことを何年も悩んだそうです。
また、心筋梗塞を患う前からがんの告知をされ自宅療養している際に父親の身体だけではなく心も蝕んでいく恐ろしさを実感し、同時に、当時の自分や母親を含む家族には頼れる存在がいなかったこと、どんな公的なサポートがあるのかを知る機会がなかったこと、「あの時に相談に乗ってくれる医療者がいてくれたら少しは安心できたのではないか?」という思いなどをきっかけに、会社員を辞め看護師の資格を取り、ユニケア訪問看護リハビリステーションを立ち上げた経緯があります。
青木の訪問看護ステーションを立ち上げるに至った経緯などは下記のページで詳しく述べられていますので、ぜひご参照ください。
なぜ最初にこのお話をさせていただいたかというと、青木自身、「父親がどのような最期を迎えたかったかわからないまま亡くなった」経験をしているからこそ、「自分がどういう最期を迎えたいのか、何を大切にしているのか、どういう姿でいたいのか」を周囲と話し合う『人生会議』の必要性を身に染みて感じているからです。
訪問看護をしていても、先週までは元気だった利用者様が訪問時に突然亡くなった状態で発見されることも少なくありません。
少し体調を崩したという理由で病院に入院されたまま、もう自宅へは戻ってこれない方もいます。
死というものは老若男女問わずいつでも訪れる可能性があること、人生会議をするには遅いも早いもなく、「思い立ったその日に」やるべきであること、そして今回の講義に参加された方々には、この講義をきっかけとし「自分の望む最期の姿」について考え、家族と話し合うきっかけにしていただきたいという思いから、『人生会議~もしもの時の話をしませんか?~』という題目で今回の機会をいただいたのです。
ぜひこの記事を通して、皆さんにも人生会議の必要性や、それについて話し合うきっかけを持っていただけると大変うれしいです。
人生会議~もしもの時の話をしませんか?~
ユニケア訪問看護リハビリステーション 青木創治郎
ユニケア訪問看護リハビリステーション 青木創治郎
今回、江戸川区熟年相談室さんの呼びかけでお集まりいただいたのは9名の方々。
まずはご参加いただきまして本当にありがとうございました。
最初に、青木から「人生会議とは?」についての説明や、平均寿命と健康寿命の乖離から「誰かの手を借りて人生の最期を送る人」が大勢いること、自分の大切にしていることはなんだろう?という問いかけなどから講義はスタートしました。
参加者の方々は最初こそ「よくわからないけど来てみた」「私、介護とかしたことないけど大丈夫なの?」「自分の最期っていわれても想像できない」といったマイナスな感情を持たれていました。
しかし講義が進んでいくにつれ、青木の話に「うんうん」と大きく頷く方、「確かにそうよね」と相槌を打たれる方、ご自分の親族が亡くなられたときの話をする方、子どもともっと真剣に話さないといけないと考えてくださる方ばかりになり、次第にグループワークの中で、ご自身の思いや経験を話し合われる様子が多くなりました。
最初は自己紹介から始まり、簡単な講義を挟んでから、最期にはもしバナゲームを通じて、参加者の皆さんの大切にしていることを考えていただく場が設けられました。
もしバナゲームとは、自分にとって何が重要なのか、そして、なぜそれが必要なのかを考え、理解することができることができるゲームです。
今回は昨今の情勢を鑑みて、感染症対策としてカードのコピーを使用してゲームを行っています。あらかじめご了承ください。
参加者の皆さんは、最初の説明とデモゲームを参考に、グループに分かれてゲームを行っていきます。
各テーブルにはスタッフが1人ずつアドバイザーとして同席しました。
手元のカードを見ながら、「これは大切よね!」「これはいらないけど完全に捨てるのもなあ」「こっちよりもこれの方が全部をカバーできる気がする」など、それぞれ個人の思いや価値観をもとに、考えられていました。
「自分がどう最期を迎えたいか」ということを考える上で、「人はどう最期を迎えるのか」ということを知っておく必要があります。
例えば、食べ物や飲み物を口にできなくなる、点滴が繋がれる、人工呼吸器などの機器類が装着される、病院で亡くなる、介護施設で亡くなる、自宅で亡くなる、一人で亡くなる、家族に見守られて亡くなる・・・などです。
私たち医療者はこれまで関わらせていただいた数多くの患者様や利用者様の様子から、「人はこう最期を迎えるんだ」ということを想像できますし、もしも自分や身内が病気を宣告されたとしても、「この病気はこういう経過をたどるから、最期はこうなる、だからこの選択を視野にいれよう」というとを比較的容易に想像できる強みがあります。
しかし、一般の方々はどうでしょう?身内の方が亡くなられた場合でも、医療者ほどの選択肢は想像つかないですし、知らない病気や状態からましてや「自分の最期」を想像することは、かなり難しいのではないでしょうか?
今回のゲームの中でも、「難しいわね」「これってどういうことなんだろう」という場面が多くみられました。
もちろん、そのサポートをするために「各テーブルに一人スタッフを配置」しています。参加者の皆さんは、スタッフからの説明をもとに次第に選択肢の幅を広げられ、徐々にひとつひとつのカードへの興味や関心が湧かれているようでした。
「あなたはどういう最期を迎えたいですか?」と聞かれても漠然としてしまう場合でも、目の前に選択肢が書かれたカードをみると「これは大切」「これはいいかな」の判断がしやすくなります。
自分の手にこなかったカードでも、「あなたのこれいいわね」「ぼくは、あなたのもっているこれも大切かも」と、他の方の意見や思い(=カード)をみて、自分の人生観や大切にしたいものにより多くの選択肢を重ねていき、最期の姿について今一度考えるきっかけになられたのではないでしょうか?
このゲームは、何度も繰り返しやってもいいですし、一人でやっても二人でやってもいいゲームです。その時折で手元に残るカードは変わるので、何度も行うことで、最終的に自分が望む姿は何かをより厚い状態で持ち続けることができると思います。
物やお金など、全員が共通して目に見えるものはどうするのか決めやすい部分がありますが、「気持ちの面」での話は十人十色で、例え家族であっても本当の思いはみんな違います。
だからこそ、自分の気持ちは自分で伝えていかないといけない、そしてそれを大切な人たちで話し合う「きっかけの場」を増やしていかないといけません。
今回のような講義や記事やニュースをきっかけに、ぜひ皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
「まだ若いから」は関係ありません。老若男女問わず、「思い立ったらその時が人生会議をする機会」です。
今後もユニケアでは、代表の青木を筆頭に、地域のみなさんのお役に立てるような活動を続けてまいります。
ぜひ引き続き、ユニケアの活動報告をチェックしていただけますとうれしいです。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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また次回の更新をお楽しみに♪