2023年2月10日
こんにちは。東京都江戸川区のユニケア訪問看護リハビリステーションです。
皆さんのお仕事先では、「デスカンファレンス」を行っていますか?
デスカンファレンスとは、患者様やご遺族の情報・業務について振り返りながらスタッフ同士で意見交換をし、看取りケアの質の向上を目的に実施するカンファレンスを指します。
先日、ユニケアでもこのデスカンファレンスが実施されましたのでその様子をお届けさせていただきます。
今回対象とさせていただいた利用者・A様は難病や末期がんを併発しており、繰り返される褥瘡や全身の皮膚肥大などが見られる自力体動の困難な方でした。しかし、認知機能などに問題はないため、スタッフとの会話も良好で、ご自分の意思をはっきりと伝えられる病態にありました。
ケアマネさんをはじめ、ヘルパーさん、2か所の訪問看護ステーションがかなり密に連携しながら、多職種で一緒にケアに入ることも日常的だったため、今回のカンファレンスにはケアマネさんとヘルパーさん2名にもご参加いただくことが出来、各職種がそれぞれの視点から見た話し合いが展開されました。

ヘルパーさん「終盤にはヘルパーとしてできないことが多くなり、本人は不安だったかと思います」

ヘルパーさん:よく車の話をしていて、退院した直後は、車に乗りたい気持ちが多かったと思います。バイク、サーフィン、車、マシンガンなど・・・男性が憧れる趣味が多く、ケアの間にいつもお話させていただいていました。
ヘルパーさん:退院してからやりたいこともたくさんあったはず・・・。あれもしたいこれもしたいという要望が多く、叶えられるものと叶えられないものが多かったのですが、女性には要望を、男性ヘルパーには趣味の話など人によって話す内容を分けられていたことが印象的でした。終盤にはヘルパーができないことが多くなってしまって、亡くなる前までは不安だったかと思います。夜間の対応が特に不安だったのか、本人の不安そうな顔を見るのが辛かったです。ギリギリまでヘルパーの見れる範囲でケアを行なっていたのですが、緩和ケアから終末期ケアになった時、事業所のヘルパー全体でも不安がありました。
ヘルパーさん:介護士として何ができるのか悩みました。まずは精神面を支えたいと思い傾聴に努め、疼痛軽減を目的にホットタオルの準備などできる範囲でのことを行ないましたが、介護士としての役割の重要性を感じました。ユニケアの看護師さんからのアドバイスで教えられたことや支えられたことが本当に多かったです。
ヘルパーさん:体位交換などが頻繁になってきてからや、食事のタイミングなどが掴みづらくなってきてからは、時間内でサービス提供をすることがかなり大変でした。帰り際に体位交換の依頼があったり、他の依頼があったりすると、どうしても時間がオーバーしてしまうんです。食べれる・食べれないが調子の良し悪しのパロメーターになっていたので、「今日ちょっと調子悪そうだな」「食べられていないな」と思ったときには、看護師さんに情報共有するようにしていました。
ヘルパーさんは、ご本人の少しの変化にもいち早く気づいてくださり、いつも看護師へ情報共有してくださっていました。
看護師よりも訪問回数の多いヘルパーさんからの情報により、看護師が単独で訪問に入る際にも状況の把握が非常にしやすく、とても助かったことを記憶しています。
看護師からの依頼にも迅速に対応していただき、同じ目線でA様のケアに介入させていただくことができました。
看護師「辛いケアの時には気が紛れるように一緒に替え歌を歌いながら実施していました」

看護師 南雲さん:褥瘡の状態や病状が辛い時期から介入し、お昼の訪問時にはヘルパーさんと一緒に褥瘡処置を行いました。
看護師は痛いことをやる職業のため、最初に痛み止めを飲んだ後に処置に入るようにしていたのですが、痛みの気を紛らわすため、しっかりと洗いながらもできる限り乗ってくれる様に楽しくやろうと替え歌を歌いながら実施していました。
「ドーはどーなっちゃうの俺、レーは連続で辛い~、ミーはみんなで頑張って、ファーはファイトのファ~」と、ご本人が歌を歌ってくださるんです。そうすると、自然と笑顔になってくださり、痛みに耐えながらも楽しい雰囲気になるように気遣ってくださっていたと思います。
どうしても、当時の状態で看護師の優先順位は褥瘡やストマ交換などの処置に関する部分が中心になっていたのですが、それ以外の部分ではヘルパーさんに沢山支えていただきました。ですが、もう少し症状管理できていたらよかったなと振り返ります。辛い時は薬で眠っていただいた方が良いと思っていても、本人は眠りたくないと言い、本人が言っているから往診もできず・・・身体の辛さをもっと楽にできていたらよかったなと思いました。
看護師 南雲さん:何かあった時、救急車を呼ぶかどうかというお話になった時は、「俺は病院で過ごしたくないから来たんだよ」と言われたのですが、骨折などの治る病気の場合は行こうかなと言えていました。「俺1年で死ぬって言われているんだよ」と言いつつ、そのことについてはあまり考えたくないようでした。「なんでそんなこと聞くの」と言われることもありましたが、やはり看護師としてはいざという時に対応については確認しないといけないんですよね。

ほぼ毎日訪問に入らせていただいていた利用者様であったため、様々な看護師がケアに介入いたしました。
その中でも南雲は、これまでの経験やスキルを強みとし、ユニケアスタッフ内で処置方法についての統一化を図るため、イラストを使用したり方法の共有を行ったり、と質の高いサービスの提供にかなり尽力されました。
かなり重度な広範囲の褥瘡が何か所にも及んでおり、更にストマ管理や疼痛管理も必要だったA様にとって、とても心強い存在だったと振り返ります。
もちろんスタッフにとっても、何かあればすぐに相談できる頼れる先輩であり、A様への介入を通じて多くのスタッフが、より質の高い統一されたケア提供の必要性を強く感じましたね。
ケアマネさん「ようやくいろんなサービスを導入できるところまで信頼関係が築けてきたところでした」

ケアマネさん:A様自身、ケアマネの仕事の中で褥瘡は範囲外だということをご理解されていたためか、あまり介入させていただけませんでした。しかし、看護師さんやヘルパーさん経由でご連絡や報告書などをいただいておりましたので、随時経過を追うことができていました。お部屋の片付けや蛍光灯替え・サービスの導入について・金銭管理・個人情報面など最後まで困らないような関わりを心がけていて、ようやく様々なサービスを導入することができるまで、信頼関係を掴めてきた頃でした。
看護師 南雲さん:A様も看護師もケアマネさんのことはとても頼りにしていて、ヘルパーさん看護師が一緒にケアに入りたいとお願いした際もすぐに調整してくださいました。
ケアマネさん:ヘルパーさん的にも看護師さん的にも、お互いの仕事を間近で見ることがあまりないと思うんです。A様の介入では、他職種連携の大切さを本当に感じました。亡くなる3日前に訪問した際、「頼りにしてるから」と言われた時、少しは支えになれたかなと思いました。
ヘルパーさん:実はヘルパーの事業所内では少し揉めたことがあったんです。A様に対するサービスの度合いについて、やりすぎなんじゃないか?ここはやっちゃダメなんではないか?という話し合いを、何度も繰り返し行いました。それでも、最後まで納得して介入できたのは、ケアマネさんの調整のおかげです。
ケアマネさん:退院直後は柵につかまってベッドから起き上がったこともあったのですが、褥瘡に悪いと思って心配していました。夏頃には、「杖を探してきてくれ」と言われてお部屋の中を捜索したこともあったので、「歩く」という目標からスタートしたのは間違えないかと思います。
リハビリ 田中さん:俺は来年になったら歩きたいんだ!と11月頃におっしゃっていましたが、その後はリラクゼーションメインの介入となり、ご本人もかなりこだわりがありました。趣味もありましたし、冗談も多く言えましたが、最後まであまり深い話はできなかったなと思います。病状的にも、離床はなかなかできませんでした。退院時の記録では、「端座位したい」と書いてあったので、ご本人の中では離床への思いが強かったのではないかなと思います。

医療保険での介入だったA様ですが、ケアマネさんが非常に密に連携をとってくださったことが印象的です。
単位数の調整やご本人の金銭管理はもちろん、看護師やヘルパーさんがケアに集中できるようなスケジュール調整を率先的にしてくださったこと、何か困ったことがあれば双方からの相談にも迅速に対応してくださったこと、とても心強かったです。
A様へのお電話や訪問も頻繁に行ってくださり、ご本人も何かあれば「〇〇さん(ケアマネさん)に」と大変頼りにされていました。
最期のご様子

ヘルパーさん:最近は、夜は色々と考えてしまい寝れないと言っていました。途中で携帯電話が使えなくなって不安も感じていたのですが、その不安が解消された後には安心感でスッと眠られることもありました。最後も、僕に携帯が繋がったことに非常に安心されたようで、その後に安堵の表情を浮かべていたことを思い出します。亡くなられたのは、そこから間もなくのことでした。
ケアマネさん:葬儀屋さんに行く前のA様は、本当に安心された表情をしていました。苦しくなかったんだろうな、と。
看護師 南雲さん:最後は、もう頑張らなくていいんだとホッとしたのかもしれませんね。ずっといろいろな不安を感じられていましたので。
ヘルパーさん:亡くなる直前に「救急車を呼んで病院へ行きたい」と言っておりユニケアさんに連絡したのですが、A様の中でも緊急時についての意思が急に変わる時があり、どう対応したら良いか悩みました。
看護師 青木さん:そういう時は、揺れ動いていいと思います。最後に救急車呼んで欲しいと言うご本人やご家族もいますし、そういう時には呼んじゃってもいいなと思いますよね。
ケアマネさん:A様は亡くなることをとても怖がっていました。叔母様と疎遠になった理由も、最期のことについてすれ違いがあったからでして、その話をすること自体避けていられたかと思います。ですが、預金も十分ありましたのでヘルパーさんのオーバー分くらい全然支払える財力がおありでした。それならご本人が安心できる環境を時間を気にせずに、と思って負担額の件なども介入しようと思っていたところ、一気に悪くなってしまったんです。
看護師 青木さん:2日前に緊急訪問で呼ばれて行った時には、目がギラギラしており発言も支離滅裂な状況でした。ご自分の死期が近いことを自覚されていたんだと思います。不安だし寂しい、と何度もおっしゃっていました。
緊急訪問に行ける際も、訪問まで1〜2時間くらいかかりますし、最初は電話対応にもなってしまうため、「安心できる最期を送るためには、もしかしたらここではないかもしれないですよ」というと、「それって施設のこと?」と初めて口にして。「考えてもいいかもしれない」とせん妄ながらおっしゃっていたので、最期は特に色々な感情が入り乱れていたと思います。
ですが、亡くなった後の様子は、2日前の不安で不安で仕方ないという表情とは全く違い、非常に穏やかな表情をされていました。

ヘルパーさん:腹部に皮下点滴打ってもらうのも嫌だと言われていたのですが差し替えをしてもらい、そこからは「水分を取りたい」など「生きたい気持ち」が垣間見られていました。
最後、夕方のケアに入っていた時、いつも言わないことを言っていたんです。「◯◯さんの手ってあったかいんだね」、(嘔吐したタイミングで)職員がサインや応援の言葉などを書いてくれた着物に着替えた時も「俺はこれ見て頑張れる」と言っていて。最期に着ていた服もそれ(職員がサインや応援の言葉を書いてくれた着物)だったので、安心できる材料のひとつになったのかな、と思います。
亡くなる直前、つい「さっき頑張るって言ったじゃん!らしくないですよ!」と声をかけてしまったんです。感情が入ってしまって・・・。もう亡くなってしまったかもしれない、と呼吸が止まったことに気づいてユニケアさんに連絡した後、排便処置や姿勢調整、環境調整なども行えて、冷静になる時間をかけてから各所に連絡ができました。自分なりの、人としてのお別れができたと思います。「生きている?」「亡くなっている?」と葛藤しながら、往診が来て死亡診断されるまでは確信できなかったのですが、最期の安心した顔が今でも忘れられません。
看護師 南雲さん:ヘルパーさんと連携がとれて本当によかったと思います。看護師の方が看取り面は得意分野です。その部分をもっとヘルパーさんと共有してもよかったかなとも思いますが、ほとんど後悔しないほど密に関わらせていただけました。褥瘡も、病院から在宅に来てからも少し悪くなっていたのかもしれないので、もっと早いうちに看護師の中でも褥瘡洗浄方法や処置方法を学び、統一できればよかったなと思います。

本当に多職種連携の大切さを学ばせていただいたA様への介入。
「このチームだったから」と全員が口を揃えるほど、密な連携をとることができました。
A様の最期のご表情からもわかるように、在宅ケアでは「症状・処置」に関するケアだけではなく、「看取りの過程を歩むご本人が安らかな最期を迎えるための精神的準備」が非常に重要視されるものだと実感しましたね。
もちろんこれは病院での看取り看護でも大切にされているものでありますが、ご自身の自宅環境で最期を過ごされるからこそ、「その人らしい、その人だけの納得できる家での暮らし」を実現するため、様々な職種が連携し、一緒にその方の人生の幕引きをお手伝いすることこそ、訪問看護・在宅医療のやりがいと信念だと改めて感じさせられました。
ユニケアでは、これからも「その人らしい家でのくらし」を実現し続けて行けるよう、尽力していきます。
今後とも皆様のご協力・ご声援をよろしくお願いいたします。
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また次回の更新をお楽しみに♪
